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  • 執筆者の写真Izumi Tsuchiya

香りを観るレッスン 第3チャクラ

香りを観るレッスン vol1.チャクラとアロマ 「第3チャクラ」が終わりました。


親の言葉や、しつけ、社会の通念や慣習、教師(グル)に従うことが正しいと盲目的に信じるなど、他の誰かを生きていたり、私という存在が外側から求められる何かの役割などに置き換えられていることが多々あるように思います。


自分の声を発信するとき、自分の内側の声が信じられず、外側からくる正しいと思える知識や、誰かの言った素晴らしい声に自分の声が置き換わっていないか、見つめる良い機会になったように思います。


自分という存在の内側からくる直感や本当の自分の声を聞きながら過ごすのは、外部の基準からは価値のないことかもしれません。


その内側からくる声は頭のいつも騒がしい声に比べると、とても小さなもので、再々ふと思い浮かび上がっても、いつも流されてしまうような声かもしれません。


体や心に感じる違和感として現れるかもしれませんが、それは痛みとは違うので、ぐっと歯をくいしばり、自分が我慢すれば、飲み込め、問題のない程度のものかもしれません。


そうやって、社会とつながり、優位に生きるためには、「こうするしかない」と思い込んで、社会生活を営む。


果たして、それが真実か?


直感や内側の声をシンプルに表出しながら、社会とつながることは可能です。


今回、素敵な体験をされた参加者様がいらっしゃるので、シェアさせていただきます。


自分は看護師なので、患者さんのために奉仕しなければいけないという強い志をもち、その役割が私そのものであると、感じておられる方。自分は看護師なので、患者さんのために奉仕しなければいけないという強い志をもち、その役割が私そのものであると、感じておられる方。


その志や、その方の存在によって周りに与えることのできる恩恵は大きく、社会への貢献度や価値はとても素晴らしいものだけれど、私はさらに深くその人の本質に触れたいと興味を持ちました。


「自分という存在」は、自分についてのすべての言葉を並べても語れないし、すべての肩書を並べても、それらが自分という存在のすべてを語るものには決してなりえません。


けれど確かに存在しているのが「自分という存在」です。


私は、看護師という仕事をしているその方ではなく、その方の存在そのものに触れたいと願いました。


香りを観るレッスンの中で、1本目にカモマイルローマンの香りを香っていただきました。

そうすると、その方は花畑の中にリラックスしながら、「自分を外から見つめることができる」という感覚を得ました。


2本目の香りにグレープフルーツを香っていただきました。


そうすると、元気に走り回っている楽し気なたくさんの子供たちのイメージが浮かび、「元気に走り回ることでエネルギーを発散できる」という感覚を得ました。


3本目の香りにレモンバームを香っていただきました。


そうすると、おいしい果実のイメージが浮かび、「この果実を一口かじるとあなたは地球を支配できるくらいのパワーが出る」という感覚を得ました。


第3チャクラ全体を通じて、外に目を向けること、地球規模で考えること、殻に閉じこもらないことを受け取られました。


その方はいつも柑橘系の香りを嗅ぐと、とても楽しく元気で笑顔になります。本質的には、柑橘のような子供らしさをもつ純真な心の持ち主なのだろうと想像します。


看護師である前に、純真で楽し気な自分と一緒にいることを想い出してください。そうすると、地球規模でたくさんの笑顔がうまれるかもしれませんね。


世界という枠の中にいる自分から、自分の中に世界があるという感覚にシフトする瞬間を冬至という0ポイントに見た気がします。



冬至 植物療法家 土屋いづみ



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